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あぅー

たつひこ『夏色キセキ』2巻

 アニメの1話よりも前から1話までを描いた1巻に続く2巻は、紗季と夏海がくっつく2話から何話か飛ばして10話まで、というこのダイナミズム。たまんねえ。つまりこの2巻は、キセキによって空を飛んだ後から、というよりも紗季の引っ越しの話を夏海たちが知ってから、引っ越し先の下見旅行をして何だかいよいよ切羽詰まってる感じになるまで、と言ったほうが通りがいい。キセキによる夏、なんてのもあってもいいけど、彼女らにとってのキセキは、なんだか色々あった夏の、ただその一部であったろう。多分。

 さて、やっぱりアニメでいう2話、紗季と夏海がくっついちゃう話が大変、大変よろしゅうございました。なんだ。セックス?ノーセックス?モンモンモン…優香のせいだ!という。(分かりません) 下田の街を二人でくっついて優香たちを探しているときのセリフなんかはもう酷い痴話喧嘩であります。「隠し事ばっか…!」「違っ そんなんじゃ…」てあなたたち、顔…近い……。そんなセリフ改変のおかげでほろ苦具合はアニメの方が上です。約束のことを思う夏海と、最後の、二人は一緒な感覚を噛み締める紗季と、というあんまりな感じは薄い。どっちも好きですが。

 3話飛ばして4話。さすがにタメとか諸々演出ではアニメは凄いなーと思った。「「紗季」って 呼んでください」はウッとなるとこなんだけど、アニメのが断然強烈です。だから凛子(が入ってる夏海)が走ってくるあたりの説得力もアニメのほうがあったような気がする。優香の願いが凛子の願いでさ。ああ違ったんだ、って分かっても分かったときには遅いはずで、そこを最初から分かってた人がちゃんと止めてくれる。一時の感性(やキセキ)によったものが、ちゃんと一時の感性によって結果的に各々の良きものになった、という説得力。で、その分漫画版は「おかえり」が死ぬほど良かったと思う。漫画版だけ読む人はあんまりいそうにない気がするので両方消費している方にお聞きしたいのですが、アニメの「「紗季」って 呼んでください」がだいぶ効きすぎてるところがあるんじゃないかと思うのですが如何か。それこそアニメを全部見た後だと優香のやたら大人っぽい面も知っているわけで、それはこういうところの諦めと、戻ってきた自分を受け止めてくれる人がいることを実感してのものなのかなあ、などと思うわけです。優香の大人っぽいとこってのは、紗季が行っちゃうことはどうしようもないけど、それでもきっと、大したことじゃないよ、みたいな導きとか。無論それは「大したこと」と心底感じたことがそうではなかった、と知った者のみがその感情に厚みを持って言えることであって。諦めだけ、てのも悲しいですし。「おかえり」は、それを与えるだけの言葉であったように見えました。あるいはこれ以外にも色んなことを優香はして、その都度凛子が「おかえり」って言ってきたんだろうな、とか。

 というあたりで2巻半分。残りは気が向いたら。