face on

あぅー

菅野マナミ『ひまわりさん』3巻

 ひまわり書房で働くひまわりさんと、ひまわりさん大好きなまつりと、それにまつわるお話し。

 2巻で先代のひまわりさんと今のひまわりさんのことが語られた。もう先代のひまわりさんとは会えない、それを再確認させる夢を見たひまわりさんに、まつりが「好きだ」といつものように言うシーンがあって。その夢は悲しい事実なんだけど、ひまわりさんは無表情で、だけどまつりにはちゃんとひまわりさんが悲しんでいるように見える、っていう、ベタに好きなシーンだった。本を1冊読むこともままならない、声がデカい、よくコケる、おバカなまつりは、それでもひまわりさんの好きなものを含めてひまわりさんをよく見ているってのが。

 3巻の温泉の回では、まつりがハイパー聡い子になっている。2巻の、おバカだけどただのおバカじゃない、とは違った明確に聡い子に。温泉の夜のまつりは、ひまわりさんを「私は私だ」という結論に導いた。聡いと言ったが、ほとんどエスパーかも知れない。そのままセックスでもしないとこの違和感は拭えない。あるいは事後だったんでしょうか。まつりとひまわりさんトゥギャザー大人になるの巻だったんでしょうか。見せろよ!そこは!!のぼせてる間になんかやっちゃったのか!いつやったんだ!!おい!!

 

 買ってきてすぐ読もう、と思ってぺらぺら捲っていて、あ、なんかまずい気がする、と思って読んでなかった。また昔のひまわりさんの話があることに対する「もういいんじゃない?」感と、そのへんの雰囲気の、何だか終わりの予感から手が進まなかった。

 もういいんじゃない感も終わりの予感も、まつりの不在や変化が多分大きかった。なんていうか、ひまわり書房で、ひまわりさんがいて、まつりが来て、そんで「ひまわりさん」なんだって、そう読んでいた気がするから。だからひまわり書房を離れて改めて先代の話して、まつりも何かちょっと違って、っていうのはまだ早いように感じた。

 全部読んでこうしてキーボードを叩きながら思ったけど、俺、ひまわり書房が好きなんだなーと。結局3巻はあんまり面白くなかったんだけど、温泉に行ってる間が好きじゃないだけで最後の風子の話なんかは良かった。風子えろい。ひまわりさんが泣いたり「私は私だ」と思うのも、ひまわり書房で、まつりは大体その場にいるけど何となく察するだけで、そうして展開したら割と好きだったんじゃないかなあとぼんやり思う。いつも通り俺はこの作品にも終わりを望まないんだなあ、とか。