face on

あぅー

夏色キセキ

 もうだめ。全くだめです。どうしてこんなことになっちゃったんだろう。一体俺は何にこんなにやられているのであろうか。一体何を見たのであろうか。と言えば、やはり一夏を過ごす女の子達であるわけですが。

 

 どうにも抜けていってくれない。あまりにも「そのまんま」過ぎて、少なからず終わったはずの夏をまだ見ていたい。見ることができるような気がしてしまう。ちょうどここ数日の気分といえば、もう夏は終わったと思っていたら何だかまだ1週間くらい8月はあるようだし、週間予報を見ても最高気温は33度を下回らないようで、どうにもだめです。8月の終わりはだめです。

 キセキ、なんてのは例えば夏海と紗季がくっついて紗季が嬉しがったり、夏海が二人になったところを最初に見て紗季が嬉しがったり、あるいは「思い出」などと言うに丁度いいものであったわけですが、3話を見れば分かるように魔法ではない。キセキを捨てても、またキセキみたいに再会するんでしょうし。というのは、カーテンの色を好きに変えられるということは紗季の家は売却されないのだろう、との2ちゃんのレスを見たので父親の仕事が何となく落ち着いたら普通に下田に帰ってきちゃうんだろう、というのはキセキだなあなどと思うからですが。願い、叶ったね!とか言いそう。夏海が。という妄想は、ハッピーエンドで終わってくれればあんまりしないお約束のはずで、ああこの子たちは行ってしまったのだ、と遠く離れていく船を眺めている気分になれるはずで、とはいえその船を逃すまいと必死にしがみついている俺がいる以上あれはハッピーエンドで、しかしその船はあまりに微妙な海域にたゆたっていませんか、とそう感じます。

 3話と4話が百合好きとしては重要で、3話は小学生の男の子がその目で見たキセキを信じて止まない話。4話は中学三年生の男の子がその目で見たキセキから目を逸らす、あるいは信じない話。百合的に言っておいしいはおいしいのですが、例えば3話の男の子のようにキセキを真に受ける4人であるのか、4話の男の子のようにキセキに目が効かない4人になるのか、というとどっちでもない、というあたりがさっきの船の例えです。

 そういう4人がそういう4人である、というのはやっぱりハッピーエンドにも思えるのですが、熱に浮かされて紗季の本意をついに引き出してしまう夏海のように、この夏が終われば、まあいいか、と思えるのでしょうか。うん。暑いなあ。