face on

あぅー

モーレツ宇宙海賊

 モーパイです!モーパイが面白いです!!

 例えば茉莉香かわいいとかチアキちゃんかわいいとかヨット部の面々素敵とかあるわけですが、そういう感情が何者かによって邪魔されないのが良い。監督が「恋愛要素を排除した」と書いていたのをどこかで見たが、逆に恋愛要素を意識して作ったとしたらこうはならない。

 制作者がどういうつもりで作ろうが知ったことではなく俺は茉莉香とチアキちゃんのだだ甘な同棲生活を幻視する。そういった自由とは一体何によって感じられるのか。キャラクタだ。キャラクタを描きさえすれば、そのキャラクタが視聴者の前にも立ち現れ、物語を描こうとすればプロットが立ち現れる。キャラクタがそこにいれば、あとは勝手に読みの自由を駆使できる。けれどプロットが、またキャラクタが存在しないアニメ作品は多分無い。では何が視聴の自由を奪う可能性を持つのか。というのは以前書いた通り。ラグランジェで言う「お兄ちゃん」。主人公まどかはそれなりに丁寧に描けていたはずなのに、いきなり雑な「いい人」が現われることによって遡及的にキャラクタがただプロットに属したものに成り果てる。この現象はこの一点にのみ影響を及ぼす話ではなくて、お兄ちゃん登場の以前も以後も、その登場によって見方が変わってしまう可能性を持つ。つまり、主要なキャラは雑に扱わない、というのが一つの解と思える。

 弁天丸クルーは今のところモブである。「キャラ付けが典型的で古臭い」という意見をついったーで見たが、当然である。今後説明する可能性のある、けれど現時点では「ああそういう人たちね」程度で済ませられてかつあまり絡んでこないキャラ達なのだから。彼らが大きく何かを握っている、という含みも無い。最新話を見ると特にそう思う。茉莉香に「彼らの考えている何か」をさせようってわけじゃないんだ。あとチアキちゃんなんかは実は全然掘り下げられていない。こういうのも良い。前も書いた気がするけど、それっぽい(例えば「ツンデレである」)のにあまり描写されていないキャラとかは好物です。まあ何にせよ茉莉香のこと好き過ぎ。泣ける。姫も出てきたばかりだけど大体同じ。要するに、分からないキャラはそのままにしておけばいい。その人間のその人間らしさなんてものは、いくら視聴者といえどそうそう容易く見ることが出来てはいけない。それでは足りない。信用ならない。じっくりやっていけないのなら、それは出すべきではない。というあたりをよく踏まえていると思うのです。モーパイ。恋愛要素を排除しようとして恋愛要素を排除できたかどうかはやはり知ったことではないのだけれど、「恋愛してますよー」という武器を捨て去ることができれば、また一歩その一人のキャラに近づけるんじゃないかなあと思います。

 あとカメラワークが良い。ということをついったーで言ってたんだけど、それは今言ったような「不要なものをがっつり排除している」ということで、安易なお約束で映しそうなところを映してなかったりしたので好印象だった。んだけど、8話あたりから怪しい。あとあれ、絵がダメってのもけっこう見るんだけど、えー!って感じですね。どストライクじゃないですか。ふともも太いし。