face on

あぅー

R18!

 ぷらぱ『R18!』4巻読了。相変わらず良い。

 こうやって「良い」とだけ言うような場合、その対象が例えば今のように漫画であれば、絵がかわいく、話が面白く、空間に奥行きがあり、それらによってキャラが活きている、そんな状態を指す。いや多分もっと多くの要素がありますが。

 そんなわけで絵はかわいく話が面白く空間に奥行きがありそれらによってキャラが活きているように思えるR18!は良いのですが、話が面白かったり空間に奥行きがあるってなんなんだろーね、というと違和感の在り方かなあなどと思ったりします。

 56ページとか79ページの左の4コマとか。諸々関係無く51ページからの流れが大好きなのですが、思いついたら行動、思いついたら口に出す、つーと活発(でおバカ)なイメージがあったりするもんですが、里佳ちゃん活発じゃないよねえ。活発なキャラが突っ走ってあれこれやったり言ったりすればツッコミが発生する。あるいはスルー芸として表現される。そこに違和感は無い。一つの定型が存在する、ということが違和感ではあるものの、漫画的リアリティには無縁の話であって。里佳ちゃんはツッコまれることもあるけれど、スルー芸を表現されるわけでもなく80ページのように「そういえば」とか会話が始まっちゃったりして、そういう違和感が良い方向に作用する。

 庄名泉石『放課後せんせーしょん!』なんかも読んだのですが、これはやりすぎの一例。頼りすぎの感が強く、違和感を違和感として自然に表現してしまっている。何に頼りすぎなのか、と言えば漫画的リアリティであるし、読者である。とはいえキエちゃんかわいくてスナオかわいいので読めます。大事なこと。