face on

あぅー

脱臭

 俺の知るところの「脱臭」とはデフォルメであって、それをおかしいというのはおかしいと思うのでありまして、かつ俺の把握するところの「脱臭」の使われ方は、関係の中に生じるものに対するものであったわけです。というのは「けいおん!」の番外編だったかで四人が若干噛み合わない、脱臭批判的内容に対する批判から「脱臭」というワードを見た記憶があったから言ってるのですが。

 男性、乃至は異性を排斥することを脱臭と言うのは、うーむと思うという話。そういうことじゃないんじゃないか。時によって見えないところを見ようとしたりするのに、そういうのはちょっとずるいような気が致します。
 折角百合アニメが増えてきたのに妙な言説があったのでは堪らない、などと思ってこういうことを言ってしまうのが正に小物感バリバリですが、男性(異性)のその時点での不在があってそういう空間があるから、だからその空間が切り取られたのだ、と読むことくらいはして良いと思う。あとは邪推なり何なり。百合はそんなことでは挫けない。無論、だからビビッドレッド・オペレーションでじいさんが存在することが悪いのではなくて、じいさんが示現エンジン作ったりあのオペレーションのプログラムを組んだとしていることが悪いのであって、それとは全く別の話として4人が(5人が)そのようにあるよ、という6話はそういうことであると思います。
 何の話だ。