face on

あぅー

ラブライブ!

全力で否定して欲しい作品であるなあ、と思ったりしました。
というのは前に『たまこまーけっと』について書いたら、「もっと怨念を込めて!」みたいに怒られたのを『ラブライブ!』見てて実感したということなのですが。それでも、怨念を半端にしか込められなくても何か言ってしまうというのは、つまり『けいおん!』と切り離してたまこまを見ることが不可能である故だと考えます。面食らった、とか。それでいて半分予感はあった、とか。
以上たまこまの話。以下ラブライブ!


 やりたいこと、興味のあることが、別の目的を達成させる可能性があった。スクールアイドルとして活動することが、廃校を阻止するかも知れなかった。
 だからそれをしたわけですが、そのスクールアイドルのグループはあの9人で、あの9人でしかあり得なかった。

 やりたいこと、とは何なのか。1話のそれらしいセリフより。

「そんなに学校、好きだったなんて」(ことり)
「だって、学校なくなったら別の高校入らなくちゃいけないんでしょ?受験勉強とか、編入試験とか。」(穂乃果)
「あたし、この学校好きなんだけどな……」(穂乃果)
「うちはおばあちゃんもお母さんも音乃木坂でしょ!」(穂乃果)
「でも、やっぱり寂しいよね」(ことり・電話)
「だってこんなにかわいいんだよ?こんなにキラキラしてるんだよ?」(穂乃果)
「穂乃果みたいに好奇心だけで始めても、上手くいくはずないでしょう」(海未)

 廃校は阻止したいけれどそこまで積極的な理由でもなく。穂乃果がA-RISEを見たときの衝撃、の描写が印象深い。無論、廃校もイヤであって、だから「最高のアイデア」と言った。今まで見たことも無いようなキラキラしたものに自分もなってみたい、という思いと、その達成による廃校阻止の可能性。そして、3人一緒にいたい、ということ。それが叶う可能性のあるアイデア。それがこの時点でのやりたいことであり、それは最後まで変わらない。

 2話以降は、7話で廃校問題が差し迫るまで、やりたいことをメインに話が進みます。というか1話も7話以降もそうなのですが。

「初ライブが上手くいきますように」(2話 ほのことうみ)
「わたし、ちょっと簡単に考えすぎだったのかも」(穂乃果)
「だって穂乃果たち、学校のために頑張っているんだし」(友人三人組)

「だって、そのために今日まで、頑張ってきたんだから!」(3話 穂乃果)

「なんにも囚われないで、一番やりたいこと、一番面白そうなものに怯まずまっすぐに向かって行く。それは、穂乃果にしか無いものかも知れません」(6話 海未)

 「ちょっと簡単に考えすぎだったのかも」という穂乃果のセリフは、例えば「そんなに難しいことなのかなあ」と言うこともできて。7話の「上級生だよ」と真姫を窘めるところも含め理知的。
 中盤6話の海未のセリフは「まっすぐ」というのが印象的です。
 砂漠を歩いていると、本人はまっすぐ歩いているつもりでも景色が360度同じために左右どちらかに少しずつ傾いて大きな円を歩いてしまう、なんて話をどこかで見ましたが、まっすぐさが前に進ませない、というのはそんな感じなのだろうと思う。11話あたりの話。

 最終的に廃校は回避、ラブライブ出場もなくなって、穂乃果にとってのスクールアイドルを問う12話13話、というのは嘘で。知っていることを思い出しただけ、あるいは無二の親友が遠く離れることが初めての経験であっても、やはり無二の親友と離れてはならないことは知っていたことでしょう。
 ラブライブ出場はそもそもスクールアイドルをやることの延長線上にあり、ついでに廃校阻止にも役立ちそうというくらいの受け止め方に見えます(7話)。ただその目的が、何となく大きくなっていただけ。廃校阻止に関しても同じように、何だか知らないけれど段々とその存在感を増していっただけ、と思います。
 あまりにも叶いそうにない願いなら叶わなくてもどうということはありません。願いが叶いそうなとき、最初の叶えたい思いを越えて、叶えたくて仕方が無くなるものです。でもそれは最初の小さな願いの通り、些事と言えば些事です。本気で叶えたかったその時の思いを肯定しながら、ハナから小さくない願い、やりたいことを描写する。
 やさしいお話しでした。というのがあらすじ。
 ちなみに穂乃果の友人三人組の描写は優秀で、そこそこ近しい人がスクールアイドルなんていう巷で流行っているがアイドルですよ、アイドル!なんてものを始めようものなら、普通はそこに理由を探します。そして近しいが故に、応援の声をかけるわけですが、応援の理由は勝手に探した理由であったりします。かつ嘘の理由でもない。11話12話あたりで騒いでいた方々は、近しくない友人であったのだなあと思ったりします。

 俺としてはここで、ではなぜ廃校を回避させたのか、と考えます。
 話の筋が「やりたいこと」を発見/自覚・実行する、というものであるなら、そしてその障害の一つとして廃校問題があるのなら、やりたいことをやる描写のために廃校を回避する他に、廃校にする、という選択もあります。廃校が回避されて尚やるからやりたいことなんだ、という理屈と、廃校が決まっても尚やるからやりたいことなんだ、という理屈は、共に成り立ちます。
 無論この答えは、あの9人でスクールアイドルをしたいから、であって、廃校になれば1話で言われる通り、みんながバラバラになる懸念に晒されます。だからそのカウンターとして、バラバラになりそうでならない道を選んだ(12話・13話)、と見ます。彼女らを見続けたい者にとって、誰得であるはずがない。


 誰にとって誰得であったかと言えば俺で。
 俺は、バラバラになることを知りながら、それでも行われるラストライブを見たかった。それに放たれる空虚な喝采を浴びせる一人に、例えば、なりたかった。