face on

あぅー

続々

 まがいものを好む者は、まがいものがまがいものであることを否定しない。そのまがいものが一体どのようにまがいものであるかを考えることはあっても。いっそのことまがいものであることにプライドを持っていて欲しいとすら思う。まがいものスキーのプライドとして。

 例えばガンプラは、あのツヤが良い。ツヤを消してウェザリングされたものを眺めるのも好きだが、やはり合わせ目を消したくらいのもののほうがずっと好きだ。あのプラ感が良い。軽そうで、チャチなのが良い。

 『たまこまーけっと』には、百合でもちょい田舎の商店街でも男女の幼なじみでも、あるいはあの鳥というファンタジーですら、そうしたまがいものなりの開き直りが足りないように思った。リアリティという言葉を使うとちょっと難しい。それよりはいっそ、どこかしら、つまり何か一つでいい、コレ!ってもんを欲しているような気がする。それはつまり「アニメとして」なんてゆー陳腐な思いなのかも知れないが、逆にだからこそ、そのコレ!ってもんを、アニメとしてのコレ!ってもんを、作画にしてほしくない、のかも知れない。